シミュレーション 横浜ベイスターズが合併
2004年7月8日 プロ野球連日、プロ野球球団の合併問題がマスコミを賑わせています。
我が横浜ベイスターズは、他球団との合併はないとの方針らしいのでまずは一安心ですが、もしそんな事態になったとしたら…。
そんな状況をシミュレーションしてみました。
この話はフィクションです。本気にしちゃダメですよ!(^^;
ある日の朝。
何となく遠くから眺めていたスポーツ新聞の一面に踊っている活字。『合併』。
あぁ、今日もそんな記事か…。どうせまた新聞社の推測で書かれた予測記事だろうなぁ、と新聞を手に取り、思わず目をカッと見開いてしまった。
『横浜ベイスターズがX球団に吸収合併 本拠地移転へ』
なに〜っ!(@Q@;
「横浜ベイスターズの砂原オーナーは昨日、突然の記者会見で球団の合併を発表。しかもそれは、大阪近鉄とオリックスのような対等合併ではなく、X球団への吸収合併、T○Sは資本参加を見送るという形で、またもや球界に激震が走った。○売の渡○オーナーも事実上承認しており、9月のオーナー会議で了承される模様。川崎から移転し横浜に根付いて20数年、横浜から、神奈川からプロ野球チームがなくなる…」
横浜に生まれ育って30数年、物心ついた時には王貞治のファンだったけど、当然のごとくたどり着いた、地元球団への愛着と愛情。それが、一夜にして打ち砕かれることとなってしまった。
ま、まずは情報収集とばかりにファン仲間にPCで、携帯でメールを送りまくる。一様にみな驚いており、こんな状況で冷静に対応出来ているヤツなどいやしない。
テレビのニュースやワイドショー、それにインターネットと更に情報収集を続ける。時間が経つに連れ、選手や地元ファンのコメントも紹介されるようになってきた。選手には前日に通達があったようではあるが、詳細が見えてこない状況の中、どの選手にもファン同様の動揺が見えてくる。
時間と共に、自分にも少し冷静さが戻ってきた。
まず、我々ファンが何をしなければならないのか…。
今日は、たまたま横浜スタジアムで試合がある。ともかく、仕事が終わったら行こう、と、仕事の合間に準備を始める。倉庫から段ボールを何枚も引きずり出し、「合併反対! 横浜でプロ野球を!」の横断幕らしきものを作り上げ、仕事が終わると共にバイクを関内に飛ばす。
予想通り、すでに自由席は内外野ともいっぱいで、3塁側もダメ。指定席のチケットを購入して、無理矢理内野自由席の最上段へ上がり込み、他のファンと同じように横断幕を掲げた。きっと、選手には見えているだろう。球団経営陣にも…。
そんな日は勝敗どころではない。勝ったのか負けたのかも良く覚えていないが、イニングの合間は球団歌・応援歌の大合唱とともに、「合併反対ー!」「横浜に残れ!」などといった怒鳴り声も響き渡っていた。涙しているファンも数多くいた。
試合後、いつも集まる居酒屋に寄り、バイクなのでウーロン茶で仲間の輪に加わって、情報収集と意見交換を重ねる。終電が迫る12時過ぎまで熱い議論が繰り返されたが、建設的な話題が出る訳でもなく、最後にはみんな落胆して店を出て行った。
それから数ヶ月の後、今年2回目のオーナー会議によって合併が正式に承認された。これで、「横浜ベイスターズ」、それに「湘南シーレックス」は今年限りで”消滅”することになってしまった。
その年の浜スタでの最終戦、例年でも外野は無料開放されるのだが、この日はスタンド全てが無料開放された。職場で無理を言って休ませてもらい、朝から駆けつけたが徹夜で待っていた連中も多く、かろうじてライトスタンドの一角に座ることが出来た。
開門と同時にスタンドは超満員。きっと、入りきれなかったファンも多かったことだろう。
ここ数年は内野での観戦が多かったが、やはり基本はここ、ライトスタンドから熱い声援を送るのが、球場での基本パターン。明日は声なんて出なくていい、とばかりに、試合開始前からはじけた。
先発は三浦大輔。そして、1イニングごとに吉見、川村、斎藤隆といったメンバーが交代で出てくる。野手も、後半は多くの選手が交代して出場してきた。
そして、9回表はもちろん、佐々木主浩。この球場で、「横浜ベイスターズ」の大魔神佐々木にコールを送れるのは、笑っても泣いても今日が最後。1球のストライクごとに大歓声が巻き起こる。2アウト目の内野ゴロを打った、空気を読めない相手打者には容赦ないブーイングが球場全体を包み込む。
そして、最後の打者は空振り三振。その瞬間、98年の優勝の時でも聞いたことの内容な大歓声が、浜スタを、関内を、いや横浜中に沸き起こった。
その声援が、ヒーローインタビュー、そして球団消滅と共に退団することとなった山下監督の最後の挨拶の時には、嘘のように静まりかえった。涙で、オーロラビジョンに映る監督の姿が滲んで見える。そして、「どうもありがとう!」の最後の一言が号令のように、また球場全体が大歓声で盛り上がる。
応援団の演奏に合わせて、3万人の「熱き星たちよ」の大合唱、そして、大洋ホエールズ時代からの選手も含め、全選手の応援歌を3万人で合唱した。もう声なんて出なかったけど、それでもできる限りの力で怒鳴った。
最後の「ばんざーい!」で力尽き、多くの他のファンと同じように、その場に座り込む。
あぁ、これで終わった…。何もかも…。
次の休み、長浦の合宿所・ベイスターズ球場を訪れた。
新球団移籍に向けて練習を積む選手が多い中、どこの球団にも引き取られず、不本意ながら球界を去る選手も、いそいそと作業をしていた。
この合宿所も閉鎖される。あの、室内練習場の上部に大きく書かれたベイスターズのロゴもこれが見納め。スチールで、デジカメで写真を撮って、あとはただスタンドに座って、ずっと様子を見ていた。
秋風が吹き抜け、陽も横須賀の山並みに落ちていった。
すでに選手の姿はなく、合宿所の明かりが灯っているだけ。
太陽は、いや”大洋”は沈んだ。
何とも言えない気持ちのまま、思い出を心に詰め込んで、ベイスターズ球場を後にした。
我が横浜ベイスターズは、他球団との合併はないとの方針らしいのでまずは一安心ですが、もしそんな事態になったとしたら…。
そんな状況をシミュレーションしてみました。
この話はフィクションです。本気にしちゃダメですよ!(^^;
ある日の朝。
何となく遠くから眺めていたスポーツ新聞の一面に踊っている活字。『合併』。
あぁ、今日もそんな記事か…。どうせまた新聞社の推測で書かれた予測記事だろうなぁ、と新聞を手に取り、思わず目をカッと見開いてしまった。
『横浜ベイスターズがX球団に吸収合併 本拠地移転へ』
なに〜っ!(@Q@;
「横浜ベイスターズの砂原オーナーは昨日、突然の記者会見で球団の合併を発表。しかもそれは、大阪近鉄とオリックスのような対等合併ではなく、X球団への吸収合併、T○Sは資本参加を見送るという形で、またもや球界に激震が走った。○売の渡○オーナーも事実上承認しており、9月のオーナー会議で了承される模様。川崎から移転し横浜に根付いて20数年、横浜から、神奈川からプロ野球チームがなくなる…」
横浜に生まれ育って30数年、物心ついた時には王貞治のファンだったけど、当然のごとくたどり着いた、地元球団への愛着と愛情。それが、一夜にして打ち砕かれることとなってしまった。
ま、まずは情報収集とばかりにファン仲間にPCで、携帯でメールを送りまくる。一様にみな驚いており、こんな状況で冷静に対応出来ているヤツなどいやしない。
テレビのニュースやワイドショー、それにインターネットと更に情報収集を続ける。時間が経つに連れ、選手や地元ファンのコメントも紹介されるようになってきた。選手には前日に通達があったようではあるが、詳細が見えてこない状況の中、どの選手にもファン同様の動揺が見えてくる。
時間と共に、自分にも少し冷静さが戻ってきた。
まず、我々ファンが何をしなければならないのか…。
今日は、たまたま横浜スタジアムで試合がある。ともかく、仕事が終わったら行こう、と、仕事の合間に準備を始める。倉庫から段ボールを何枚も引きずり出し、「合併反対! 横浜でプロ野球を!」の横断幕らしきものを作り上げ、仕事が終わると共にバイクを関内に飛ばす。
予想通り、すでに自由席は内外野ともいっぱいで、3塁側もダメ。指定席のチケットを購入して、無理矢理内野自由席の最上段へ上がり込み、他のファンと同じように横断幕を掲げた。きっと、選手には見えているだろう。球団経営陣にも…。
そんな日は勝敗どころではない。勝ったのか負けたのかも良く覚えていないが、イニングの合間は球団歌・応援歌の大合唱とともに、「合併反対ー!」「横浜に残れ!」などといった怒鳴り声も響き渡っていた。涙しているファンも数多くいた。
試合後、いつも集まる居酒屋に寄り、バイクなのでウーロン茶で仲間の輪に加わって、情報収集と意見交換を重ねる。終電が迫る12時過ぎまで熱い議論が繰り返されたが、建設的な話題が出る訳でもなく、最後にはみんな落胆して店を出て行った。
それから数ヶ月の後、今年2回目のオーナー会議によって合併が正式に承認された。これで、「横浜ベイスターズ」、それに「湘南シーレックス」は今年限りで”消滅”することになってしまった。
その年の浜スタでの最終戦、例年でも外野は無料開放されるのだが、この日はスタンド全てが無料開放された。職場で無理を言って休ませてもらい、朝から駆けつけたが徹夜で待っていた連中も多く、かろうじてライトスタンドの一角に座ることが出来た。
開門と同時にスタンドは超満員。きっと、入りきれなかったファンも多かったことだろう。
ここ数年は内野での観戦が多かったが、やはり基本はここ、ライトスタンドから熱い声援を送るのが、球場での基本パターン。明日は声なんて出なくていい、とばかりに、試合開始前からはじけた。
先発は三浦大輔。そして、1イニングごとに吉見、川村、斎藤隆といったメンバーが交代で出てくる。野手も、後半は多くの選手が交代して出場してきた。
そして、9回表はもちろん、佐々木主浩。この球場で、「横浜ベイスターズ」の大魔神佐々木にコールを送れるのは、笑っても泣いても今日が最後。1球のストライクごとに大歓声が巻き起こる。2アウト目の内野ゴロを打った、空気を読めない相手打者には容赦ないブーイングが球場全体を包み込む。
そして、最後の打者は空振り三振。その瞬間、98年の優勝の時でも聞いたことの内容な大歓声が、浜スタを、関内を、いや横浜中に沸き起こった。
その声援が、ヒーローインタビュー、そして球団消滅と共に退団することとなった山下監督の最後の挨拶の時には、嘘のように静まりかえった。涙で、オーロラビジョンに映る監督の姿が滲んで見える。そして、「どうもありがとう!」の最後の一言が号令のように、また球場全体が大歓声で盛り上がる。
応援団の演奏に合わせて、3万人の「熱き星たちよ」の大合唱、そして、大洋ホエールズ時代からの選手も含め、全選手の応援歌を3万人で合唱した。もう声なんて出なかったけど、それでもできる限りの力で怒鳴った。
最後の「ばんざーい!」で力尽き、多くの他のファンと同じように、その場に座り込む。
あぁ、これで終わった…。何もかも…。
次の休み、長浦の合宿所・ベイスターズ球場を訪れた。
新球団移籍に向けて練習を積む選手が多い中、どこの球団にも引き取られず、不本意ながら球界を去る選手も、いそいそと作業をしていた。
この合宿所も閉鎖される。あの、室内練習場の上部に大きく書かれたベイスターズのロゴもこれが見納め。スチールで、デジカメで写真を撮って、あとはただスタンドに座って、ずっと様子を見ていた。
秋風が吹き抜け、陽も横須賀の山並みに落ちていった。
すでに選手の姿はなく、合宿所の明かりが灯っているだけ。
太陽は、いや”大洋”は沈んだ。
何とも言えない気持ちのまま、思い出を心に詰め込んで、ベイスターズ球場を後にした。
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